満蒙開拓紙芝居化プロジェクトにみる地域課題解決への挑戦
2018年07月15日
以前、下記の記事を書きましたが、

今日は雨の降る中、波田21区町会の拓魂祭が開催されました。21区町会は満蒙開拓団として満州に渡った方々が、終戦後に命からがら帰国して開拓した集落が始まりです。昭和21年、開拓農業協同組合発足が義務づけられ、23軒が居を構えました。1戸当り1丁7反分配され、飲む水がなく、道路もない中、自分…
長野県に、そして地元に深く刻まれているこの史実を
どうにかして後世に伝えていかねばならないと
私たちはずっと考えていました。
そこで、波田のまちづくり組織
http://hatamachidukuri.web.fc2.com/
が事務局となり、
21区町会、梓川高校、松本市に呼びかけ、
昨年11月に
“満蒙開拓紙芝居化プロジェクト”が発足しました。
梓川高校では、
発足に向けて、当時の板倉校長先生、中村教頭先生を筆頭に、
2年3組担任の染野先生、美術部の大森先生、
新学期になってからは
百瀬校長先生、福田教頭先生、
その他大勢の先生方の力強いサポートを受け、
平和学習、及び信州学の一環としてのワーキングチームが結成されました。
彼らの目標は、文化祭でこの紙芝居を発表すること。
そして、その後の様々な活動の中で、上演の機会を設けていくこと。
2年3組の学生さんたちは、
21区町会にお住まいの、
開拓団として参加されたお二人(いずれも80代)の話を聞いたり、
プロジェクトの合同会議に参加したり、
阿智の満蒙開拓平和祈念館へ学習に行ったりと、
短い限られた時間の中で、
個別の話に加えて、史実の概要を理解すべく現実と向き合い、
資料を集めたり、調べたりしながらストーリーを作っていきました。
一通りのストーリー原案が出来上がった後、
松本市出身の児童文学作家である山本まさみ先生に監修を依頼し、
原案が完成。
そして、美術部に所属する学生さんが絵コンテを描き、
クラス全員で絵を仕上げていきました。
満蒙開拓の歴史は、
これまで、冊子やドキュメンタリー制作などで
多くの伝記が残されていますが、
子どもや若者向けとしては少しハードルが高いものでした。
よって、今回の目標は、
若い世代に感心を持ってもらうことでした。
そのためには、若い世代の視点を大切にしようということで、
何度となく合同会議を設けては情報を共有しあいながら進めていきました。
当初は戸惑いながらの参加であった学生さんたちも、
次第に「これは下の世代に伝えていかないと」
と思う気持ちを強くしてくれたようで、
一生懸命課題に向き合ってくれました。
文化祭の発表の日、合計3回の上演では、
いずれも教室がいっぱいになるほど大勢のお客様が観覧されました。

学生さんたちは、上演終了後、
「楽しかったー!」といいながら戻ってきました。
それは私たち大人にとっても、
嬉しい言葉でした。
また、普段学校に行く機会のない地域の方々が、
学校に足を運んでくれたことも
大きな成果の一つでした。
こうした一連の流れから、
学ばせていただいたことがあります。
いま、よく言われている学校の地域開放ですが、
2種類あると思いました。
一つは、施設の開放。
空き教室を上手に活用した地域開放です。
そして、もう一つは、高校生視点の開放。
高校生の斬新な視点を地域の課題解決のために開放するのです。
こうしたハード面、ソフト面の開放を、
どのように実際の課題と結びつけていくかがポイントになります。
学生さんたちも、私たちも、
当初はお互いにどう関わり合っていいのか
わからず、
手探りの状態でした。
けれど、プロジェクトが進んでいく中で、
学生さんたちは自主性が芽生え、
自分たちで次何をしたらいいのかを考えるようになり、
学校の先生方も仰っていましたが、
学生さんたちの成長ぶりには目を見張るものがありました。
私たち地域の人間も、
ジェネレーションギャップに驚きつつも、
それは新鮮な驚きであり、
高校生ならではの視点を斬新で面白いと感じるようになり、
対等なパートナーシップを構築できるようになりました。
主張したいときは提案を、
不安が残るときは確認を。
今回のプロジェクトを通して、
若者と地域住民、双方の意見を反映させるためには、
「対等である」こと、
「必要な時は互いに提案をしあう」ことの
2つが重要であると学ぶことができました。
こうした環境づくりについて、
新たなプロジェクトが始動しそうな気配が生まれてきています。
そのためにも、
今回の取り組みを次へと、そして政策へと生かせるよう、
学びを整理していきたいと思います。